東京都足立区十七神社総本社
ご社紋こうほくひかわじんじゃ
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年末の拝殿前には古札がうずたかく納められます
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江北氷川神社は、秩父山系を水源とする荒川流域に位置し「沼田」という旧地名からもわかるように、古来より清流が流れる湖沼地帯であったと思われます。このような清地に、ご祭神(素 戔 嗚 尊)は古代より治水守護神として奉祀されておりましたが、村落の開発に伴い、荒川を出雲の國・簸川(ひのかわ)の故事に見立てて、氷川神社を創建したものと考えられております。悠久の歴史のまにまに、足立区西部一帯の総本社として、現在も連綿と篤い信仰を集めております。
 江北氷川神社のご由緒・沿革
 江北氷川神社一帯は、『足立姫伝説』(聖武天皇の御代・今から約千三百年前)発祥の地としても知られ、江戸時代には「六阿弥陀詣」の参詣者でたいへんにぎわいを見せた地域であります。現存する手水鉢(庚申塔も兼ねている大変珍しいものです)には、今から約三百年前、元禄十二年(一六九九年)に下・上沼田両村の氏子中によって奉納されたものであるという刻印があり、当時より地域の篤い崇敬を受けていた事が窺えます。
当神社は、明治初年村社に昇格し、同時に旧江北村(沼田、鹿浜、鹿浜新田、加賀皿沼、高野、谷在家、宮城、小台、堀之内)九ヵ村の総本社となり、お正月、節分、九月の秋季大祭には盛大な祭礼行事が執り行われています。
 戦後までは、旧江北村全体から、江北小学校に生徒が通っていたため、境内で遊んだ経験を持つ人は多く、学校の記念日、神社祭礼日などには、全校生徒がつらなって氷川神社にお参りして、紅白の饅頭をもらって帰ったと言います。昔の江北小学校の応援歌の中には氷川神社の神主が歌われており、当時の子供達には思いで深い場所だったようです。
境内に唯一残る桜の木は、神社のすぐ近くにあった、荒川の五色桜並木の末裔だと言われております。
 平成十一年には、地元氏子、並びに旧江北村全体の氏子・崇敬者から氷川神社宮御神輿・御神輿蔵改修の奉納を受け、現在でも連綿として篤き崇敬を受けております。
元旦は、大太鼓の音とともに多くの参拝者で賑わいます。初詣の参拝者には、二十年ほど前からご神前に上がっていた甘酒を振る舞っており、参拝者同士の会話の場として近隣に有名となり、現在では多くの近隣の神社で、これにならって初詣の接待がなされております。
初詣や大祭、節分祭などの祭事の時は、旧江北村十七社の総本社であることから多くの人々で、境内が埋め尽くされます。その数も年々増えてきており、近年益々その賑わいを増しています。
大祭では、境内には露店が並び、夜には奉納踊り、氏子町内では御神輿・山車が練り歩きます。
節分祭では、豆まきを行い、氏子の子供さんなどが、大勢やってきます。近隣の神社の中では、例年総本社である氷川神社が最後になるため、他の神社からの子供達もあいまって、境内は人で一杯になります。
 現在の本殿は、今から約百七十年前の天保四年(一八三三年)に再建、拝殿は明治八年(一八七五年)の再建と伝えられており、多くの戦・震災を免れて、昭和五十九年の「昭和の大改修工事」を経て、現在にその荘厳華麗な姿を残しております。
また、平成十三年には都内でも有数の大きさを誇る『提灯掛け』が奉納される等、現在でも連綿と地域の篤い信仰が受け継がれております。

 江北氷川神社のご社宝
 大正天皇后(貞明皇后)が崩御(ほうぎょ)あそばされました時に、宮中より皇后さまゆかりの羽二重を下賜(かし)いただきました。当神社では、後世にまでその御遺徳を偲びまつり名誉を伝えるために、社号額として永久に保存しております。

他、絵馬多数
江北氷川神社社号額
「一日は一日より新たならんことを欲す」(伊藤仁斎)