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■ご本殿(内陣) |
ごほんでん(ないじん) |
江北氷川神社のご祭神がお鎮まりになる建物です |
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総欅作り、檜皮葺のご本殿です。
周囲には、ご祭神の素戔嗚尊の故事にちなみ「龍」の彫刻がほどこされ、柱を支える木組みなども何重にも精巧に作られており、荘厳な姿を残しております。
昭和の大改修工事の際、この本殿の基礎石に「天保四年再建」の刻印が発見され、その歴史は古く約170年前までさかのぼれます。
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■拝殿 |
はいでん |
ご祈祷などで一般の方々がおはいりになる建物です |
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総欅作り、銅板葺きの拝殿です。
明治八年の再建と伝えられており、大正の関東大震災・先の戦災にも被災することなく、現在にその姿を残しております。
昭和の大改修工事の際に、お屋根をそれまでの瓦葺きから銅板葺きに葺き替えました。当時の屋根屋さんは「この屋根は特別に厚く作ったぞ」と、その出来栄えに太鼓判を押しております。 |
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■諏訪神社(お諏訪さま) |
すわじんじゃ(おすわさま) |
江北氷川神社境内に鎮座いたします末社です |
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諏訪神社は、長野県諏訪大社からの勧請されてきたお社です。
ご祭神は建御名方命(たけみなかたのみこと)です。
ご神体は「大石」であり、珍しく一般の方々でも自由に見ることが出来ます。古代の人々は、「大きな木」や「大きな石」などに神さまが宿ると信じておりました。その昔の信仰形態を残す貴重なお社と思います。
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■山の神 |
やまのかみ |
江北氷川神社境内に鎮座いたします末社です |
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その名の通り「山の神さま」です。
ご祭神は、大山津見命(おおやまつみのみこと)といわれております。石の祠には「山之神」という彫刻が見て取れます。
当社付近には東京都内ということで、もちろん「山」などはございませんが、いにしえの人々は「山=自然」に畏敬の念を抱いたのでしょう。 |
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■水の神 |
みずのかみ |
江北氷川神社境内に鎮座いたします末社です |
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その名の通り「水の神さま」です
ご祭神は、弥都波能売命(みずはのめのみこと)といわれております。
当社は荒川流域にあり、古くは「天狗の鼻」といわれた河川の蛇行する、その突端にあたりました(現在は放水路の開削の為河川の状況が変わっております)。この為水害も多く、水に対する「畏敬の念」はひときわ強かったと思われます。 |
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■稲荷塚 |
いなりづか |
稲荷神社の塚です |
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当社が鎮座する東京都足立区西部一帯は、東京の郊外にあたり戦前までは農家が点在する農村地帯でございました。
その為、旧家には今でも屋敷神として「稲荷神社」をお奉りする邸宅が多く、お社を新しくする際などに、古くなった「お狐さん」や「鳥居」「祠」などを納めに参ります。 |
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■手水石(庚申塔) |
てみずいし(こうしんとう) |
お手水をおこなう為に水を溜めておく石です |
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この手水石は、たいへん古く「元禄十二年」の刻印があり、今から約300年前のものです。また、側面には「庚申」の文字が見られ、庚申塔も兼ねていたものと思われます。
手水石と庚申塔を兼ねていたものはたいへん珍しいそうで、多くの歴史家や資料館が拝観に訪れます。 |
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■天水桶 |
てんすいおけ |
天水(雨水)を溜めておく桶です |
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明治三十四年に奉納された、鉄製の天水桶です。
当社は東京の北部にあたり、映画「キューポラのある町」でも有名な鋳物の町「川口」が近くにございます。
この天水桶は、この川口で製造された物で「武州川口」の銘も見れます。数年前、川口の鋳物業者の方が調査に来られ「当社で初めて納めた鋳物でした」と懐かしんでおられました。 |
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■天水舎 |
てみずや |
お参りの方々が手を洗い口をすすぎ身を清める場所です |
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お水が出ている「獅子瓦」は、昭和の大改修工事の際に拝殿のお屋根からおろした鬼瓦の一つです。
獅子には古来より「魔を祓う」故事があり、手水の場所に納めました。お参りの方々は、この故事にならって、手を洗い口をすすいでからお参りいただきます様にご案内いたします。 |
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■本社御神輿 |
ほんしゃおみこし |
江北氷川神社の本社宮御輿です |
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この御神輿は、平成十一年に地元氏子を始め所管社氏子地域総氏子の皆様より奉納された御神輿です。
本社宮御輿造営は氏子一同の永年の願いであり、この御神輿を中心に地域の人々の和も一層強いものとなっております。御神輿渡御は二年に一度の本祭りの年におこなわれます。 |
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■提灯掛け |
ちょうちんかけ |
氷川神社のご社名提灯をかけるものです |
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平成十三年に氏子有志の方々より奉納されたもので、銅葺き屋根の立派な物です。
作成した地元大工棟梁の話ですと「いろいろなお宮さんに行って提灯掛けを見てきましたが、一番立派な物を作りました」との事です。 |
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■忠魂碑 |
ちゅうこんひ |
地元戦没者の方々の御霊をお慰めする碑です |
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昭和三年に「御大典記念」に建立された物であると刻印されております。
この忠魂費にはいわくがあり、「先の戦争で日本が負けたときに、米兵がこの地にまで襲いに来るという噂が流れました。この時村人たちはこの忠魂碑を隠す為に江北小学校校庭に埋めて隠したそうです。」しかしながら、その様なことは無く。数年後掘り出して、当社境内にお奉りしなおしたそうです。 |
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■ご神木 |
ごしんぼく |
銀杏の大木で「足立区の保存樹」にも選定されております |
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銀杏の大木です。
本来はさらに5メートルほど背が高かったのですが、数年前の嵐の時に雷が落ちて、樹の上部のみが枯れてしまいました。
銀杏にはオスとメスがあるそうですが、この樹には「ぎんなんの実」がつきませんので、オスだと思われます。 |
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■江北の五色桜 |
こうほくのごしきざくら |
境内鳥居のそばにある桜の古木です |
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江北氷川神社のすぐ裏手には昔の荒川堤があり、この地は明治大正時代には「江北の五色桜堤」ともいわれた桜の景勝地でした。そのすばらしかったことは、広く世間に知られ「皇族の方々の行啓」があったほどです。しかしながら、その後戦争の供出材として伐採されるなどして現在はその姿はありません。
境内の桜は、この五色桜の末裔として残っている貴重なものです。
ちなみに「江北の五色桜」は、ワシントンポトマック川の桜の元になった樹です。 |
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■山野草 |
さんやそう |
境内にはたくさんの種類の「山野草」があります |
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境内には、多種多様な山野草が植えられております。
宮司が丹念に一種類ずつ増やしていったものですが、現在は数百種類までになりました。
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■のぼり旗 |
のぼりはた |
境内の周囲には数百本にものぼりが奉納され風にはためいております |
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江北氷川神社は天皇家より下賜いただいた羽二重を社号額に残した故事にちなみ、多くののぼり旗が奉納されております。昨今は「のぼりがたくさんある神社」とも称され、良き目印となっております。
のぼりは、奉納者のお名前を浄書し、一年間掲げられます。どうぞ、ご奉賛いただきます様、ご案内申し上げます。 |
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